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「湖沼の国」に生まれたガイド

福島県北部にそびえる、日本百名山のひとつ磐梯山。
その麓、裏磐梯と呼ばれる高原地域は「湖沼の国」の別名もある。
明治時代の磐梯山の噴火により、
有名な五色沼をはじめ数多くの湖や沼が生まれたからだ。
中でもいちばん大きく、美しい島々が浮かぶのが檜原湖である。
湖岸ぎりぎりまで広がる広葉樹の森を映す湖面は美しく、
ちょっと日本離れした光景が広がっている。

湖岸から竿を出せる場所が少ないため檜原湖の釣りはボート中心だが、
いつしか高馬力のボートでゲストを案内し、
ブラックバスを釣ってもらうことで生計を立てる
フィッシングガイドを職業として選択する人が増えてくる。そのひとりが、
福島県喜多方市で生まれ育った渡部圭一郎さんだ。

「23歳から始めて、今年(2021年)でガイドは16年目になります。
子供の頃から釣りはしてましたね。
親父が釣り好きで投網とかも打つようなタイプだったので、
よく一緒に行ったりしました。中学に入るとバスを釣るようになって、
高校にも進学したんですが、僕以外は全員大学へ行くような進学校。
でも卒業後は茨城県の釣具店に就職したんです。
そこで3年間働いてお店を回せるようになったんですけど、
理想とはちょっとかけ離れていたというか……」

日々の仕事に追われ、釣りをする余裕もなかった渡部さんだが、
お客さんやスタッフとの関係は良好だった。
それだけに辞めてしまうほど決定的な理由もなく仕事を続けていた。
そんなときに転機が訪れる。

人生の分岐点で

「親父が亡くなったんですよ。それで母親がひとりになってしまうので地元に戻ったんです。
親父は消防士だったこともあり、やはりそういった堅い仕事に就いた方がいいのかな、
と母親に相談したら『好きなことをやりなさい』と言ってくれたんです。それで好きなことをさせてもらいました(笑)」

喜多方市からさほど遠くはなく、きわめて恵まれたフィールドである檜原湖(猪苗代湖も含む)を
渡部さんが次の“職場”として選んだのは、ごく自然な流れだろう。
しかし、いきなりフィッシングガイドを始めることは難しく、まずはレンタルボート店に就職してスキルを磨いた。

「だから僕は(観光用の)モーターボートも運転してたんですよ。
そのお仕事をさせてもらいながら朝と夕方は釣りをさせてもらって、
3年間やりましたね。
それで店員の時代からお金を貯めていたので
自分のボートを買ってガイドとして独立しました」
とはいうものの、
いきなりゲストの予約でスケジュールが埋まってしまうほど
フィッシングガイドは甘くない。

「収入はほとんどゼロでしたね。
最初なんかお客さんは月に数人いるか、いないか。実家から通っていましたし、
2、3年は自分が食べていければと思ってましたが、
やっぱりカツカツで車は壊れるし、ボートも壊れたらどうしようかと(笑)」

人気ガイドのルーティン

ガイドを始めたての頃は苦労した渡部さんだが、
現在シーズン中はほぼフル稼動で湖に浮かんでいる。

「朝起きて、僕の場合は“通勤”に40分。ボートを下ろすのに15~20分。
前後1時間はかかります。
それから桟橋にお客さんを迎えに行って湖に出て、夕方になると戻り、
再びボートを上げて帰宅。
昼の休憩を1時間くらい取ったりするんですけど、
基本は朝の6時くらいから夕方4時半までのガイドなんです。
だからシーズン中はそれ以外のことができなくなってしまいますね。
体調管理がほんと大事だな、ってこの仕事を始めてからはとても感じます。
睡眠時間はちゃんと確保しないといけない。
無理して体調を崩したことも何度かあるんですよ」

間違いなくハードワークの部類に入るが、
しかし16年を経た今でも渡部さんの理想は高い位置をキープし続ける。

「僕がガイドを始めるとき本当に何もないところからだったので、
それだけで食べていけると思ってなかったんです。
なのでガイドがやれない時期を工面できればと思って
自分でルアーも作って販売しようと。
冬場は湖が凍っちゃってるんでガイドできませんからね。
4月から11月の頭までなので、オフシーズンはほぼルアーを作ってますね。
理想は自分で作ったルアーだけでガイドをやりたいんですよ。
市販のルアーを使っていて物足りないとか、こうしたらいいのにとか。
ガイドをやっているとそういう思いが強くなって、
実際作ったルアーの方がよく釣れるものができてしまうことがあるんです。
お客さんに使ってもらって『このルアーほしいです!』
とダイレクトに感想をいただいたりとか。
いっぱい作ってもほとんどガラクタなんですけど、
ずっと使い続けられるいいものができるのでね」

リピーター率がほぼ9割

振り返ると渡部さんがこれまで就いてきた仕事は、
すべてお客さんと接するものだった。
ゲストと長時間を共にするフィッシングガイドを続ける上で
大きなアドバンテージになっているのでは? そう訊ねると意外な答えが返ってきた。

「そもそも人と接するのが得意じゃないんですよ。人見知りする方なんで。
同業者と話していても結構そういう方が多いんですよ。
ただ、そういう人の方がついてきてくれるお客さんもおられるんです。
僕の場合、お客さんと距離はあるんだと思います。
ていねいにしなければいけないとか、もっと親切にしなければいけないとか、
いろいろ考えてしまうので新規のお客さんが来られるとき、
昔は寝られないこともあったくらいです」

客商売の経験がガイドで役に立つことはまったくなかった、
と渡部さんは言い切る。
物を売る仕事の場合、商品を得ることでお客さんは満足感を得られる。
しかしフィッシングガイドがゲストに提供するものは、
魚そのものではなく釣りという行為を楽しむこと。
ここが大きく異なる部分なのだろう。
たとえば極端に高いゲストのリピーター率は、
もしかすると、それを証明する事実のひとつなのかもしれない。

ゲストとの意思疎通

もちろんゲストにはいろんな人がいるし、
なんだかんだ言っても魚を釣らせることがフィッシングガイドの使命。
自然相手だけに読めない部分も大きい。
渡部さんも日々そういった悩みやプレッシャーを感じながら
ガイドを続けている。

「ここは季節が春春、夏、秋、冬冬冬冬…くらいのイメージなんですよ。
お盆を過ぎたら
ライトなダウンジャケットを着ないとダメな日はいくらでもあります。
湖上で風に吹かれたら寒くて釣りにならない。
それが関東から来られるお客さんには強く言っても伝わらないんですよ。
最近ようやく……ですね。
あと檜原湖は何とかなる方なんですが、
それでもメジャーフィールドなので
釣れない日が出てきてもおかしくないんですよ。
そこは不安要因ですし、
お客さんがどのくらいの気持ちで来られるかが分からないじゃないですか。
1尾でも釣れればいいのか、たくさん釣りたいのか。
僕の場合は厳しい状況のときもそのまま言いますし、
そうしないと自分自身が重いので、そこから入っていきます。
ただ、よほどじゃなければお客さんが
『面白くなかった』と言って帰ったことはなかったです。
釣れなくても『またチャレンジします』と
来てくださる方が多いですね。
逆に最初にたくさん釣れた人よりも、
少しずつ成果が出てきた人の方がハマっていくというか。
あと檜原湖の攻め方はいろいろあって飽きない
フィールドだということもあります。
その点は相当恵まれていると思いますね」

16年間、シーズン中はほぼ毎日ガイドをしていると、いいことも悪いことも印象的な出来事はたくさんあったと思うのだが、
渡部さんにはそのような記憶、特定の何かが脳裏に浮かぶことはないという。

「昔は必死にやっていただけなので、感じる余裕もなかったですね。
それに今も毎日すんなり終わる日というのが実はなくて、毎回アクシデントというか(笑)。
魚なんて分からないじゃないですか? たくさんあり過ぎて思い出せないですね」

新たな楽しさを提供するために

今や釣りの世界にも肩書きが求められる風潮がなくはない。
技術を競うトーナメントの戦績やスポンサーの有無は、ガイドをする上で決してマイナスにはならないはずだ。
しかし渡部さんにはトーナメントでほかの釣り人と競い合う気持ちが昔も今もまったくないし、
スポンサーを気にかけることもなかった。

「もともとゼロの状態から始めてますし、
底辺からなんでスポンサーさんがいなくなろうが、何の恐れもないです(笑)。
トーナメントにも出たことがないし本当に何にもなし。ただの一般の釣り人です」

釣りで生計を立てている“プロ”であるにも関わらず、
そのような人種にありがちなアクの強さ、
ギラついた部分といったものが渡部さんからはまったく感じられない。
また、ガイド業が安定した今の状態をこのまま持続させよう、
という意識すら希薄だ。

「自分が楽しんでいければいいだけです。
新しい楽しみを見つけていかないとワクワク感が伝わらない。
自分が楽しくなければ、お客さんも楽しくはないと思います」
だからオフシーズンには溜めていたアイデアを注ぎ込んだルアーを製作し、
新しい釣りを伝える。
そうやって釣れたときのゲストの喜び、目の輝きを見ること。
それがガイドという仕事を続けていくためのモチベーションになっている。

「僕が楽しい釣りは、必ずお客さんにも伝わるんですよ」
純粋な一釣り人である限り、渡部さんはこれからも湖上で“楽しさ”を追い続けてゆくことだろう。
また訪れるゲストのために。そして、まだ知らぬゲストのために。

渡部 圭一郎
わたなべ・けいいちろう

1982年生まれ。高校卒業後、釣具店勤務などを経て
2015年に「K-ROガイドサービス」を設立。
ハンドメイドルアービルダーとしての顔も持つ。

写真/細田亮介 文/前川 崇